お顔のない花
                〜 砂漠の王と氷の后より

      *砂幻シュウ様 “蜻蛉”さんでご披露なさっておいでの、
       勘7・アラビアン妄想設定をお借りしました。
 


毎日見られるものではないながら、
視野のどこにも遮るもののない、
ただただ漠とし広大な砂の丘を赤く染めながら、
それは泰然と夕陽が沈む様は、
何とも言いようのない迫力やら寂寥やらを運んで来。
その圧巻さは、時に罪作りだとも思うほど。
忙しさや何やに紛れさせ、
考えぬようにとし、何とか忘れていることをまで、
じわり思い出してしまったり。
そんなつもりじゃないのだけれど、
“逃げていたかも”と思い知らされたり。

  何も飾らず、どうにもひねらずの風景が、
  何にも言わぬのに心を捕らえて離さない……。



      ◇◇◇


そろそろ春が近いのか、宵の訪のいが随分と遅くなった。
まだまだ陽の巡る高さは低いままなので、
陽が落ちればそのまま、
余韻も短く すとんと真っ暗になるところはさして変わらぬものの。
その日没自体がかなり遅くなったよなぁと、
後宮の奥向きから出て来て、
王の居室にあたる本宮までを楚々と急いでいた年若い妃が、
その途上にて つと立ち止まる。
強い陽射しや乾いた空気、砂混じりの風に肌を傷めぬよう、
何よりその姿を人から見られぬようにと、
この地の既婚女性には当たり前な嗜みとしての、
更紗や毛絹のヴェールをまとっていても。
そのほっそりとした姿態の輪郭、
均衡の取れたしなやかさは覆いようがないもの。
薄日の中、
ヴェールの裳裾をはためかせつつ立ち止まられたご様子は、
お付きだった侍女をさえ、
惚れ惚れとさせたほどの可憐な麗しさだったのだが。

  「……何奴。」

ただ、夕景へと見ほれていた妃ではなかったらしく。
低められたお声の鋭さに、ハッとした侍女が、
そこはこういう時にこそ立ち回れるところも買われたお役だ、
反射も素早く、周囲を見回しながら傍らへと駆け寄れば、

  「……。」

(わらわ)を庇うなぞ、十年早いと言いたげに、
二の腕を掴まれての手際よく、
その細っそりとした背の後ろへと、
侍女を引っ張り込む妃なところは相変わらずで。
そんな合間も視線は揺らがぬまま。
最初に気配を察した辺り、
回廊が枝分かれしていての、
女官や侍女が支度部屋へ直行するのに勝手のいい、
隠し通廊へ連なる扉につながっている、
柱の陰をば睨んだままでいたところ。

 「…不調法をして、申し訳ございません。」

そんなお声がしたと同時、
ついと踏み出されたのは小さなつま先。
品のいい、だが、丈夫そうな麻を張られた、
細身のサンダルを履いた人物と……それから。

 にゃ〜う、と

甘いお声での長鳴きをしたのが、
彼女らにはお馴染み深い小さな仔猫。

 「……イオ?」

浅い栗色の短い毛足、スリムな肢体の小さな仔猫は、
この後宮では知らぬ者のない存在で。
ちょっとした経緯から、
こちらの第三妃キュウゾウが、第一夫人のシチロージへ、
進呈した それは愛らしい仔であり。
首輪もせぬままの自由奔放に、
後宮のどこへなりとも出入りは自由と、
そんな飼われ方をしている女の子、なのだが。

 「お妃様がたのご寵愛も厚いお猫様と存じ上げておりますれば、
  こちらの庭園の外へまでお出掛けしようとなさっておいでを、
  それは危険と引き留めていたのでございます。」

そうと滔々と語りながら、
なめらかな所作にて、その場へするりと片膝をついて。
お顔をやや伏せ気味にしての、恭順の姿勢を取ったところといい。
キュウゾウが…本意からではないものの、
顔を隠すためのベールをつけているのに対し、
彼女のほうは、そのお顔を晒したまんまでいることといい。

 「…後宮の者か?」

王宮の奥向き、
妃とそれへ仕える侍女や女官しか出入りはならぬとされている、
後宮への通廊の途中という場にいたのだから、
関係者であろうはず。
そうでなければ それこそ大問題の法度破りに値する行為でもあるのでと、
一応の問いただしをしたキュウゾウだったのであり。

 “王宮にも、多少は女官もいなくはないのですが…。”

執務関係のお勤めへ精励する“政務官”ではなく、
そうかと言って、仕丁のように雑用を請け負う“侍女”でもなく。
例えば、
位の異なる方々の間での、取り次ぎや言伝てを任されるお役目や、
それこそ後宮への伝言を任されてのこと、
覇王カンベエ陛下からのお宣辞や伝言をたずさえて、
男子禁制の宮までお運びになられる女官がいるにはいるのだが、

 「……。」

恐らくはキュウゾウもまた、同じように不可解さを感じているのだろう。
だってあのあの、
今までに見かけたことのないお顔だったのが、
侍女にも“あれれぇ?”と思わせた一番の不審であり。
とはいえ、

  みゃ〜ん…、と

それは懐っこくも長鳴きをしつつ、
イオがそのしなやかな身を、彼女の低められた身へと、
すりすりと擦り付けるようにして甘えていることが、
不審だとは思いつつも、それを警戒へまで引き上げない点でもあって。

 “イオ様は、
  滅多によその人へは懐かない、気位の高い和子様だもの。”

新入りの女官が、匂いや何やへ馴染んでもらうには、
最低でも半月はかかるほどの用心深き仔猫でもあるのもまた、
後宮では知らぬ者のないほど有名な話。
よって、それがこの懐きようとなると、
妙な話ながら、これをもってこそ、
彼女の素性の真っ当さを確たるそれと証明しているとも言えて。

 「…はい。
  わたくしは第二王妃にお仕えしております、佑筆にございますれば。」

筆跡の麗しさや文才を買われ、
手紙の代筆や記録の書き留め役などを受け持つ女官。
書類の整理も担当していて、
通知にまつわる管理責任者でもあったりするので、

 “ならば…。”

そこまで位のあるお人なら、
ご自身の仕える妃の傍らからは離れないのが基本なので。
よって、宮からも出ないのも頷けはするし、
だからこそ、
キュウゾウはもとより、侍女にも見覚えのなかったお人なのだろうと、
こちらの烈火の姫にもようやくの納得を運んだようで。

 「さようか…。」

うむと頷き、誰何もそこまでと、
何事もなかったかのように、その脚 進める深紅の妃。
元から真っ赤な色合いの、自身のまとうヴェールと違い、
周囲の石作りの壁やら王宮へと渡る橋やら、
遠景の砂漠やらを茜に染めていた、
沈みゆく最中にあった西陽の色味のせいだろか。
その女官の、薄絹のかづきで押さえていた髪の色もまた、
それは鮮やかな茜の赤だったこと、
のちのちに“あれれぇ?”と、
キュウゾウ妃もまた、小首かしげて思い出すことになろうとは…。







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  *時々ご質問をされる“第二妃”に関してのお話を一席。
   それほど込み入った代物にはならない予定ですが、
   ちょっとばかり長めになりそうな構成にしちゃいましたので、
   よろしかったらお付き合いくださいませ。


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